2013/02/16
GROUDSCAPE paper
GSデザイン会議が発行するフリーペーパー、「GROUDSCAPE paper」を送っていただきました。
菅原大輔さん、どうもありがとうございます!
GROUNDSCAPEという言葉は元々内藤廣氏が篠原修氏の展覧会を開催するときにつくった造語で、
「表面的な美しさを求めるのではない。人間がより良く暮らしていくために、大地そのものをデザインする。
そんな気持ちを込めた」 そうです。
そしてその定義はあいまいで、このフリーペーパーの企画の中でもそれはあいまいなまま残されています。
ただそれが別に悪いというわけではなくて、「風景」というぼんやりしたものについて考え、
それを良くしていこうとするときには特効薬的な何かは存在しないし、
日本各地の都市において抱える問題は似ていても、それぞれ解決策は違っていておかしくはありません。
(さらにいうなら万人にとっていい「風景」というのも存在しないと思います。)
だからむやみに定義をしてしまうよりも、多義的に捉える余地を残しておいた方が
良い方向に働いていくこともあるのだと思います。
たとえどれだけ能力があったとしてもたったひとりの力では風景は決してよくはならないし、
時間的、空間的なレイヤーが積み重なってはじめて存在しえるものだと思います。
そのためにはさまざまな分野に携わっている人間がそれぞれのスキルを持ち寄って協力していく必要があります。
そしてそれは実際に目に見えるものをデザインするものにとどまるのではなく、
そのまちを構成するあらゆるものに関係することなのです。
なによりもまずそこで日々生活を送る人たちが、最初は目に見えないことでも少しずつ意識を変え、
何かを実行してそれが継続され広がっていくことによってはじめて変わったと言えるのだと思います。
そして何かをデザインする人間にとっても、与えられた条件をただ受け入れるだけではなくて、
前提自体を考えることができるようになればおのずと風景も変わってくるのではないでしょうか。
もちろん以前のようにどんどん建物を建てる時代ではなくなりましたが、
そのまま放っておいては問題があるのも事実であって、
そういった物件をどう扱うかにはきちんと向かい合う必要があるし、
地味であってもきめ細やかな対処をしていかないと
あっという間に壊されて最悪の場合は駐車場になっていってしまいます。
そういった状況を防ぐためにはその地域に関わる人間ひとりひとりの振る舞いが大切になってくるし、
それをないがしろにしてしまってはまちは成り立ちません。
たとえひとつひとつがどんなに些細なことであったとしても、
いろんな人たちの生活の上に風景はかたちづくられていくのだと思います。
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