2012/08/08

Sigurd Lewerentzについて


先週スウェーデンの建築家、Sigurd Lewerentzについての勉強会をしました。
前にも一回やったのですが、今回は修士論文で彼について研究した方に発表していただいたので
内容も掘り下げることができて、とてもおもしろい会になったのではないかと思います。
また、参加者もいろんな人がいて、それぞれが自分の建築観に基づいて発言していて、
それもとても興味深かったです。
ふだん同年代の建築関係者としゃべることが少なくなっていたので、彼らと議論を交わすということ自体も
とても貴重な機会となりました。

Sigurd Lewerentzは、日本でストックホルムにある森の葬祭場のGunner Asprundとの共同設計者として知られていますが、
彼自身の残した建築、そして彼がたどった人生そのものがとても興味深く、一部の人たちからは熱烈な支持を受けています。
ただ、以前AAスクールで開催された展覧会のカタログにおいてPeter Smithsonがエッセイのタイトルを
「Silent Architect」としているように、彼自身の発言はほとんど残っていなくて、文字通り彼は「ただ建て」ました。
ぼくがスイスにいたときには彼について言及する建築家も多くて、そこから興味がひかれていったのですが、
彼の残した建築、特に後期の2つのレンガ造の教会は、一筋縄でいかない部分が多く、
実際に訪れてみても彼の意図についてあれこれと想いをめぐらせながら推測するしかありませんでした。
ただ、だからこそいろいろと考えを深めることができる部分もあって、今では自分にとってすごく大切な建築家です。

今回の勉強会ではきちんとした分析に基づいた発表を聴くことができて、新たな発見がたくさんありました。
やはりなんとなく写真や図面を眺めているだけでは見えてこない部分があって、まだまだ見方が甘いなと痛感させられました。
岡本太郎が「縄文土器論」において、

伝統というものは決して単純な過去ではなく、却って現在的なものである。
そして不動不変ではない。
むしろ常に変貌し、瞬時も同一ではない。
動的にこれを把握しない限り、主体的に生かし、押し進めることはできないのである。


といっているように、
ぼくは過去のものを見ることは決して静的な行為ではなく、また受動的な行為でもないと考えています。
その都度生きている時代から見直していくことは、きわめてクリエイティブなことであると思うし、
またこれから何かをつくっていくことにも強く関係するとも思います。
だからこうやって過去の建築家の業績についてつぶさに見直していくことは、
すぐれた建築をただ神格化するのではなくて、今の自分たちの置かれた状況と結びつけて考える
とても貴重な機会なのではないかと思います。
この勉強会はこれからも地道に続けていきたいと思っているので、みなさんよろしくです!

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